新しい地平IIコンサート プログラムノート英語版 (9月9日)

武生国際音楽祭2023、9月9日の新しい地平IIコンサートの英語版プログラムノートです。日本語版については、武生国際音楽祭2023で販売中のプログラム冊子等をご参照ください。

Noriko Miura : Fall
(OISHI Masanori/saxophone)

The piece’s title, “Fall” which has the meaning of “falling” “fallen leaves” or “autumn” is taken from a poem by Ryuichi Tamura. Mr. Tamura tells us that just as the leaves of a tree fall to the soil and eventually return to the color of the soil, our souls should also fall toward the horizon at night, trembling in the sunset. A world of sleep where all living things fall. Due to the providence of nature, which humans cannot fathom, the leaves of the trees suddenly fall.
This work is composed of repetitions and combinations of fragmentary motifs representing the swaying of leaves (or the trembling of our souls), dancing, falling, sleep, etc., but it is random and improvised. When I suddenly looked around, I saw that the soil had turned to asphalt, and the leaves of the trees had lost their soil and turned into garbage. So, in modern times, does the world of sleep that Tamura speaks of to which we should return really exist? (Noriko Miura)

Andrzej Karałow : Florenscene
(HOKAMURA Risa/violin, MIZUNO Yuya/cello, YAMAMOTO Junko/piano)

Florescence was created in 2018 for the LABO workshops in Montreal, during which the premiere also took place. The narrative of the composition develops organically, i.e. its entire musical structure grows from the source – the initial sounds, one idea, naturally, like a plant. The structure is based on aleatoric segments but governed by specific rules. Individual parts/instruments, approached linearly, constitute uniform sonoristic and melodic structures. In order to create a coherent sound ‘organism,’ it is important to integrate them in a colour context based on a synesthetic system of pitch. The formal – but also based on synesthetic associations – draft of the composition was created in the form of a digital artwork. (Andrzej Karałow)

【2023レポート】④武生国際作曲ワークショップ(9月4日)(神山奈々氏)

武生国際音楽祭2023と連動して、第22回武生国際作曲ワークショップも開催中です。その様子を、作曲家の神山奈々さんに紹介していただきました!

 第22回武生国際作曲ワークショップは、9月4日から開講されました。今年はリトアニア、エストニア、セルビア、ポーランドといったヨーロッパの周縁諸国をバックグラウンドに持つ作曲家を招き、開かれた学びの場として多くの受講生を迎えています。近年は、アジア諸国からの受講生が増えており、多様な文化的背景が一つの場所で重なり合い起こす化学反応を肌で感じることが出来ます。誰にとっても「武生」での経験が特別なものになることを切に願って、熱い一週間が始まりました。

 初日は、二人の作曲家による「自作を語る」。一人目は、日本の作曲家、坂田直樹さん。日本とフランス、両国で学ばれたご経験からそれぞれ何を得て、それらがご自身の音楽とどのように結びついているかについて丁寧にお話し下さいました。また、近作のオーケストラ作品を取り上げ、オーケストレーションの方法や、その中における楽器法の拡張についてフォーカスした内容となりました。    二人目は、セルビア出身、ドイツを現在の拠点としている作曲家のフリスティナ・スザクさん。作品のユニークな音響が一瞬で受講生の耳を啓きました。具体的な過去の作曲家の作品を例にとり、それらがご自身の創作とどのように関連しているか分かりやすくお話し下さいました。「始源の音」を彷彿とさせる作品群は、プリミティブな魅力に溢れているのだけれど、一方ではとても知的でそのアンバランスさが魅力的な方です。

 また、リコーダーの鈴木俊哉さん、尺八の田嶋直士さんによる、楽器のレクチャーもありました。二つのエアリード楽器の実演を聴きながら比べると、その共通点や違いにもたくさん気付かされました。

 二日目は、リトアニア出身のユステ・ヤヌリテさんの「自作を語る」で始まりました。美学的なものと時間の概念が結びついたフォームの美しさを作品から率直に受け取ることが出来ました。ご自身の方法論についてのお話は、音の素材をどうやって限定するか、またその楽器法と音色についてなど大変具体的でした。そして私にとっては、どうやって学生の作品を指導するかという話も興味深く聞きました。続いてポーランドのコンポーザーピアニスト、アンジェイ・カラウォフさん。私は自作のリハーサルがありこのレクチャーを聞くことが出来なかったのですが、音楽祭に参加する演奏家の友人から面白いエピソードを伺いました。カラウォフさんはこの音楽祭で日本初演となる曲を発表されますが、ピアノをご自身で弾きながら、リハーサルを進められているそうです。それはとても音楽的で直感で掴みやすいコミュニケーションによるリハーサルの時間だったと聞きました。「新しい地平コンサート」で聴けるのを楽しみにしています。

 サキソフォンの大石将紀さんよる楽器のレクチャーでは、9日に演奏されるマーク・アンドレの作品を取り上げ実演を交えながら、その場にいる受講生を含む作曲家と対話を行う形式で密な質疑応答が繰り広げられました。

アコーディオンの大田智美さんによる楽器のレクチャーでは、作曲の際に大変有用な資料を多く得ることとなりました。

明日は、ワークショップの皆さんと遠足です。この短評を書いていてまだ眠れないのですが、遠足が楽しみ過ぎて眠れないことにしようと思います。

【2023レポート】③ギター、ソプラノ、ヴィオラが紡ぐ抒情(木下正道氏)

武生国際音楽祭2023レポート第3弾。今回は作曲家の木下正道さんです!

9月6日(水)メインコンサートの「ギター、ソプラノ、ヴィオラが紡ぐ抒情」を聴きました。

まずは、この音楽祭の音楽監督である細川俊夫さんの、ギターソロによる編曲集「日本のうた」の日本初演でした。 我々日本人ならばほぼ誰もが知っている、12のうたが、ギターの演奏技巧を駆使しつつもそれがあまり表に出ずに、音楽そのものをぐっと引き立てることに徹した素晴らしい編曲と、それを真摯に、丁寧に音、音楽として紡いでいくジェイコブ・ケラーマンさん(「今日の演奏会でわたしだけがこれらの曲を知らない」と仰られていたようですが)のギター演奏は、とても感動的でした。 細川さんはお話で「(使い古された)骨董品を磨くように」と仰っておられましたが、その試みは十分に成功し、懐かしくも新しい音の世界が生まれました。

そして盛大な拍手に応えて、アンコールとして、細川さん編曲の「五木の子守唄」が、ソプラノのイルゼ・エーレンスさんと、ジェイコブさんのギターで演奏されました。旋律と伴奏は繰り返すたびに少しづつ変化していき、夕焼けの中ゆっくりと日が沈むような(日本的)風情を、イルゼさんとジェイコブさんは全く的確に表現されていました。

転換を挟んで、次はリヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」が、イルゼさんのソプラノと北村朋幹さんのピアノで演奏されました。R.シュトラウスの「4つの最後の歌」は、作曲者最晩年の作品ですが、彼らしい色彩感あふれる音楽の中に、そこはかとなく漂う寂寥感や、人生の肯定と死の影がないまぜになった淡い光が立ち込めています。また晩年の巨匠らしい簡潔さもあります。イルゼさんは、満ち引きを繰り返す潮のように、うねりと輝きのある声の様々な表情を巧みに操り、広がりある歌を歌っていきます。北村さんの一切音に濁りのないピアノは、品位を保ちつつ歌と対等に対峙して、R.シュトラウスの書いた音符の意味を描き出していきます。 そして、終曲のまさに最後に、ピアノだけ残ってどこまでも沈黙に向かって進んでいく(もちろんそこには歌の残り香があります)ところなど、まさに彼岸の世界を垣間見るようでした。

休憩の後は、ショスタコーヴィチのこれまた最晩年の作品「ヴィオラソナタ Op.147」が、ルオシャ・ファンさんのヴィオラと、北村さんのピアノで演奏されました。 この曲には、ベートーベンの「月光」を始めとする多くの引用があります。それを色々推測するのも楽しい聴き方なのですが、今回の演奏ではそういうことよりも、まず書かれた音を演奏として如何に彫琢するか、その究極的な姿を見たように思いました。 北村さんは「虚無」を表現できる稀有な音楽家の一人だと思います。ここでの「虚無」とは、単にからっぽ、という意味ではなく、喜怒哀楽を始めとする様々な感情や、禍々しいもの、恐怖を覚えるもの、また至福の世界を見せるもの、の源泉、原型となるような、何か、です。ショスタコービッチの晩年の音楽は、切り詰めたギリギリの音の動きによって、そういった「虚無」の世界に近づいていると思うときがあります。北村さんはそれを自分の音として丁寧になぞり、そこで表情豊かで時に厳しい造形を持つルオシャさんのヴィオラが自在に歌います。極めて純粋な音楽の姿を引き出したこの演奏は、まさに画期的なものだと思いました。

【2023レポート】②弦楽四重奏「古典」の系譜(神山奈々氏)

武生国際音楽祭2023レポート第2弾。今回は作曲家の神山奈々さんです!

9月5日(火)メインコンサートは伊藤恵プロデュースによる、弦楽四重奏「古典」の系譜。この日の曲目は、ハイドン作曲「弦楽四重奏曲 第34番」、

バルトーク作曲「弦楽四重奏曲 第6番」、ドヴォルザーク作曲「弦楽四重奏曲 第12番『アメリカ』」でした。

これら3曲は、12人の弦楽器奏者によって演奏されました。この中で、四重奏団を組んでいるのは「クァルテット・インテグラ」の4人、それ以外は超一流のソリストの集まりとして成立している四重奏が2組ということです。一つのコンサートの中で、この差を聴くことが出来るというのが特殊で貴重な体験でした。

ハイドン作曲「弦楽四重奏曲 第34番」では、NHK交響楽団のゲスト・コンサートマスターを務めた白井圭さんの作る1stヴァイオリンとしての推進力がある音楽に、若い世代のホープである2ndの外村理紗さんが寄り添うのでは無く、望んで一体となっていくようなアンサンブルが見られました。それはまるでソリスト同士の出会いとお互いの尊敬の眼差しを聴くようなやり取りでした。とりわけ第2楽章では、音色の共有にこだわった演奏が、コミュニケーション豊かなリハーサルを窺わせました。白井さんの身振りと音色は、ヴィオラのルオシャ・ファンさんとチェロの岡本侑也さんに確かに受け継がれていて、その軌跡を聴くことは希望に満ちた体験だったと思います。

 続いては「クァルテット・インテグラ」によるバルトーク作曲「弦楽四重奏曲 第6番」。私は、弦楽四重奏団というのは寝食を共にして、初めて自分たちの声を手にするようなイメージがあります。彼らがそれらを経てTuttiで手にしたのは非常に艶やかな音色。精緻なアンサンブルの中、時折聞こえてくるインテグラ独自の音というのが明確に、この四重奏団のキャラクターを描いていました。それは、この4名が弦楽四重奏団として存在する必然性を感じさせるのに十分な美しさでとにかく凄い、素晴らしいの一言に尽きる演奏でした。

最後は、ドヴォルザーク作曲「弦楽四重奏曲 第12番『アメリカ』」。こちらは個性のぶつかり合いとも言えるようなソリスト同士の熱い戦いでした(殴り合いみたい)。その中で、1stヴァイオリンの郷古簾さんの表現が際立っており、東欧への望郷を感じさせるものだったことは「アメリカ」の中におけるローカルであることの強さのようなものをドヴォルザークの当時の状況と重ねながら聴きました。このように多層的な背景を感じさせる個性のハイブリッドな弦楽四重奏というのは、その歴史において新しい価値観かもしれない、と思いました。2ndの山根一仁さん、ヴィオラの山本周さん、チェロの上野通明さんはそれぞれに異なる表現でドヴォルザークに対峙しています。それらが、1曲の中で聴こえてくると新しくも不思議な音楽体験でした。

【2023レポート】①オープニングコンサート(金井勇氏)

武生国際音楽祭2023が開幕し、9月3日(日)にオープニングコンサートが開催されました。今年も、武生国際作曲ワークショップに参加されている作曲家の皆様にレポートをお願いしました。第1弾は金井勇さんです!

 武生国際音楽祭2023が開幕した。9月3日の初日はメインコンサートに出演する演奏家が一堂に会すオープニングコンサートで華やかに幕を開け、バッハから細川俊夫音楽監督の近作に至るまでの12曲が演奏された。

 瀧口修造の『手づくり諺』の一節 “Qui va là?”(「誰か?」)と発声することで印象的に始まる武満徹のフルート独奏曲『ヴォイス』は、曲目が暗示するかの如くフルートを声の拡張として捉えることで楽器と身体の境界を不明瞭にする試みがなされている。上野由恵が自身の声と多用される異化された音響とのミクスチュアを強靭に投げかけた。

 次いでハンガリー出身のエルンスト・ドホナーニのフルートとピアノのための小品。2曲から成るうちのその第1曲『アリア』をマリオ・カーロリが清らかに、伸びやかに歌った。大宅さおりによる明澄なピアノ。

 続いてクァルテット・インテグラが登場し、バルトーク・ベーラの『弦楽四重奏曲第6番』のうち、本日は第3楽章を演奏した。4つの楽章からなるこの作品は各楽章が「メスト」と題される悲歌を伴う特異な内容を持つ。第3楽章はヴァイオリンが導くメストから「ブルレッタ(いたずらっぽく)」と指示される荒い舞踊に変転する。クァルテット・インテグラは悲痛に張り詰める「メスト」と活力溢れる「ブルレッタ」を鮮やかに対比して魅了した。なお、この作品は9月5日のメインコンサートにて全楽章が演奏される。

 バルトークが続き『無伴奏ヴァイオリンソナタ』のうちの第2曲「フーガ」。強奏される断片的な主題が応答を伴って集積されるが、終盤に至るまで楽想は荒ぶる。毛利文香のしなやかなかつ立体的な演奏に心を打たれた。

 1挺で描く宇宙。その壮大なイメージを具現化する無伴奏ヴァイオリン作品の傑作として音楽史に燦然と輝くJ・S・バッハの作品群。その中の『無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番』、第3楽章「アンダンテ」を郷古廉が崇高に表現した。一聴、心優しげな楽想でありながら、旋律と伴奏の2声を同時に演奏するという高度な曲である。一音一音に生命が吹き込まれる気高い瞬間を共に歩む感慨を覚え、その清澄な響きに身を浸すような幸福な体験となった。

 一転してアルゼンチンタンゴの奇才アストル・ピアソラの『センティード・ウニコ』を大田智美のアコーディオン独奏で。激しく情熱的なリズムと哀愁をおびた旋律の対比の妙が聴衆を大いに魅了し刺激する。

 武満徹はギターをこよなく愛した作曲家として知られ、多くの傑作を残した。『ギターのための12の歌』は民謡からビートルズに至るまでのポピュラー・ソングの編曲であるが、「アレンジ」に留まらない新たな「作品」としての体を為す。このうちの3曲をスウェーデン出身のジェイコブ・ケラーマンが情感豊かに届けてくれた。

 後半は音楽監督の細川俊夫の近作から。田嶋直士の尺八と鈴木俊哉のテナーリコーダーのために作曲された2重奏曲『マナ』。似て非なる2つの管楽器に吹き込まれ、呼び交わし合う息の競演。マイクを通して拡張された音響の効果も相まって、立ち昇るエコーからは深山の情景、あるいはタイトルの意味とも通じ合う、遠い原始の祝祭の場を想起させる。

 続いて、これまでにも武生国際音楽祭に出演しているソプラノのイルゼ・エーレンスが北村朋幹のピアノとともにシューベルトの小品を3曲。近年はオペラのタイトルロールも演じる彼女の表情溢れる演奏に束の間の陶酔を味わった。

 ベートーヴェンの晩年に作曲された作品の中でも傑作の一つに数えられる『弦楽四重奏曲第13番』。6楽章で構成される大曲の第4、第5楽章が白井圭のヴァイオリンをトップに頂く指折りのメンバーで演奏された。優雅に舞う4楽章に身を躍らせながらも、静かで熱い詩情を湛えた続く5楽章では、その抒情的な歌に秋の訪れを予感した。

 ベートーヴェンの余韻に重なるように、次いでドヴォルザークの『ピアノ三重奏曲第4番』。ウクライナ語で「憂い」といった意味を示す「ドゥムキー」の副題が付く。本日はその第5、6楽章を。ヴァイオリン(外村理紗)、チェロ(上野通明)、ピアノ(北村朋幹)の3者それぞれの名技性が十分に発揮された。リリカルに、ダイナミックに、織りなす楽想の陰影と色彩が浮き彫りになる。  オープニングコンサートの最後を飾ったのはブラームスの『クラリネット三重奏曲』の第1楽章。クラリネットを(ブラームスの提案もあるように)ヴィオラに持ち替えた版での演奏で、上海出身のルオシャ・ファンのヴィオラ、岡本侑也のチェロ、そしてコンサートプロデューサーの伊藤恵のピアノによる。三位一体の響きが実現され、対話の妙が光る。最後はヴィオラとチェロの密やかな会話をピアノが優しく包み込みこむような美しい場面であった。 (金井勇)