武生国際音楽祭2025に参加された作曲家・我妻英さんから、作曲ワークショップ(9月2日)のレポートが届きました。

この日の作曲ワークショップは、今年の招聘講師・望月京による自作のレクチャー(全2回)の第1回で幕を開けた。現在、世界の第一線を舞台に活動を展開し国際的に最も評価の高い作曲家の一人である望月。レクチャーは「作曲を通して世界をみる」というテーマで、今年のプログラムに含まれている4作品を取り上げる。自身にとって作曲という行為は様々な事象を考えるためのツールであるという言葉に始まり、留学の経緯や経験にも触れながら、その音楽的思考の軌跡を展開した。
話題の中心のひとつは、音楽に於ける形式の問題。構造により比重のあるドイツ的音楽性と音色や音響により比重のあるフランス的音楽性の対比や、F.リストの言葉を引きながら絶対的な形式の完成美に音楽を合わせるのか感情表現等に導かれて自由に形式が定まっていくのかという問題が提起された。これは21世紀の現在も依然として作曲家にとって避け難い問いのひとつである。望月にとっては、作曲の過程はまるで子供の成長のように予め既定出来るものではないので、自らの音楽を聴きながら形式が出来ていくことが自然だという。
そこから例に挙げられた初期作品《インテルメッツィⅠ》(9月6日「新しい地平コンサートⅢ」で演奏される)は、そうした形式に対する当時の問題意識から、ロラン・バルトの著作の断章形式に発想を得て、曲題の通り複数の間奏曲の連続から構成されている。一見無関係な言葉の連なりが謎かけのように次なる想像を呼び込んでいくことで浮き彫りとなる関連性。それは、あたかも(バルト自身が言及しているように)俳句のようであり、西洋のシンメトリカルな建築ではなく日本の増築建築に近い。その上で望月が述べたのは、響きが日本的であることよりも音楽の構造や形式に於いて日本的であることの意味であった。レクチャー冒頭で自身が日本人であることと創作との関係性にも言及した望月は、常に「何を・誰のために・どのように書くのか」という創作行為の本質の問題の追求に強く意識的である必要性を説いた。AI全盛の現代だからこそ人間の発想が最重要になってくるという指摘や、作曲者の意図や工夫が聴き手に音楽として完全に知覚・認識されなければならないというメッセージは、表面的なアピール力や書き手の自己満足に終始する安易な創作姿勢への警鐘のように感じられ、私自身、身が引き締まる思いで受け止めた。受講生も改めて、それぞれの創作のこれまでの歩みとこれからの展望を見つめ直したに違いない。明日の第2回のレクチャーでは、望月作品の音楽性と思考世界のさらなる深みを掘り下げることになると予想され、期待が高まった。
続いて、今年の音楽祭でも数々の演奏曲目で重要な電子音響を担当する有馬純寿によるエレクトロニクスについてのレクチャー。今回は、先月に新国立劇場委嘱作品として初演されたばかりの、武生国際音楽祭音楽監督・細川俊夫の新作オペラ《ナターシャ》に於ける電子音響およびサウンドデザインがテーマとなる。その鮮烈な印象と深々とした感動が記憶に新しい《ナターシャ》が、氏によるこれまでのオペラと大きく異なって新たな試みとなる点は、何よりもまず電子音響の使用とその占める比重の大きさにある。そのエレクトロニクスのパートを全面的に担当した有馬自身によって、本作に於ける電子音響の制作の詳細が紹介された。
電子音響としてはある種古典的でもあるミュージック・コンクレートの手法を基盤としながらも、作品のコンセプトやメッセージに基づいたフィールド・レコーディングの過程やマルチ・チャンネルの手法をはじめ、その微に入り細を穿つ緻密な仕事の数々に受講生たちは大いに刺激と感銘を受けていた。収録した自然音や都会のノイズ等は、そのまま使用されることはほとんどなく、基本的に常に編集が加えられているという。オーケストラや歌手の奏でる音楽の音程構造や和声進行との関係性から、あるときは調和・同化させ、あるときは敢えて溶け合わせないという、極めてミクロな次元の調整が駆使される。スピーカーを観客から見えないようにすることで音響の方向性を予期させない、さらには無音という「音」によってあたかも時間が停止したような印象を聴衆に抱かせる、などのサブリミナルなレヴェルの工夫もまた圧巻の一言だったが、それは有馬自身がこれまでに携わった、あるいは接してきた電子音響を用いたオペラ作品への鋭く冷静な分析の賜物であることが窺われた。そして、再演の際の汎用性までを念頭に入れた制作形態(当然ながら電子音響はそれぞれの劇場の環境に大きく左右されることとなる)を紹介しながら、再演のしやすさはアコースティックな器楽作品でも重要だという提言は、エレクトロニクスの使用に関わらず、作曲を志す多くの受講生にとって貴重なものとなっただろう。
最後に作曲者本人との対話で展開された、単なる効果音とそうではない具体音との違いとはという話題の総括として細川自身が述べた、ただの素材をアートにまで高めるという行程の重要性は、あらゆる創作に通底するものとして全ての受講生が深く心の中に留めたに違いない。(我妻 英)
