9月11日 音楽祭短評②(金井勇)

 16時に開演したファイナルコンサートはまず、上野由恵のフルート独奏によるドビュッシー『シランクス』で美しく神秘的に幕を開けた。ギリシャ神話の精霊シランクスが牧神パンの強引な求愛から逃れきれず、ついには葦に姿を変えてしまい…という悲しみの果てを題材にした20世紀無伴奏フルート曲の金字塔。 今年の音楽祭の中で上野は2つの初演曲(ソルビアーティ作品の日本初演及び拙作の世界初演)をバスフルート、ピッコロにも持ち替えて秀麗に送り届けたほか、ブーレーズ『ソナチネ』を北村朋幹のピアノとともに鮮烈に魅せた。その締めくくりとしての『シランクス』を、(いささか飛躍するが)二度と戻れぬ姿の象徴と準え、延いては今日このコンサートが二度と帰ってこない「一期一会」の瞬間として受取り、そのような心持で沁み入りながら聴き入った。

 次いでアルディッティ弦楽四重奏団によるクセナキス『テトラス』。古代ギリシャ語で「4」を意味するという『テトラス』では4人の奏者が一つの本体として扱われる。特殊な演奏法で生み出されるノイズが終始鳴り響き、音塊が強烈に揺れ動く。クセナキスは2022年が生誕100年にあたり、それを祝いこの音楽祭でもいくつかの作品が上演された。アルディッティ弦楽四重奏団を特集した9月6日のメインコンサートでは『ST/4』が取り上げられ、緊張漲る演奏で聴衆を感嘆させた。オープニングコンサートに始まり、メインコンサートでの特集、2曲の新作(ガルデッラ、中堀海都)の世界初演、クセナキス『アケア』についての公開リハーサル、またウェーベルンやバルトークを演奏する若い弦楽四重奏団の本番前リハーサルへの立ち会いも行い、連日にわたって精力的に活動する姿は大変印象的であった。

 武生国際音楽祭は3つの柱が共存する稀有な音楽祭ではなかろうか。ピアニスト・伊藤恵がプロデューサーとして率いる西洋クラシック音楽の柱。作曲家・細川俊夫が監督する作曲ワークショップが発信する現代の音楽の柱。そして地元・武生の音楽愛好家が参加する合唱団の柱。プログラムの後半は、この「合唱の柱」が主体となるファイナルコンサート恒例のステージである。そしてこの日のために組織されたその「武生国際音楽祭フェスティバル合唱団」を愛情もって牽引した鈴木優人がJ.S.バッハとヴィヴァルディを、満を持して披露した。

ここに、メインコンサートの弦楽奏者の顔ぶれを中心に、コントラバス、オーボエ、トランペットとチェンバロが編入された武生アンサンブルが共演。  受胎告知を受けた聖母マリアが神を賛美する、ヴィヴァルディ『マニフィカト』では合唱を中心に、ソリストの重唱が織り交ざる。第6曲「飢えた者を満たし」での美しい女声二重唱が印象的であった。

 続くJ.S.バッハ『オーボエとヴァイオリンのための協奏曲』では白井圭のヴァイオリンと荒木奏美のオーボエの対話を最小の編成のアンサンブルが包む。鈴木がチェンバロ奏者としてリードし、四戸香那のコントラバスが深い音でもって音楽に立体感を加えた。

 最後はバッハのカンタータ『心と口と行いと生活で』。受胎告知に続く場面でやがてイエスとへの愛と賛美が溢れゆく。10曲の小品が2部構成でまとめられているが、1~6曲目が第1部、7~10曲目が第2部となる。オープニングとなる第1曲は合唱にトランペット(滝村洋子)加わり高らかに始まり、各独唱を経て、再び合唱。このコラールは『主よ人の望みの喜びよ』の曲名でよく知られている。第2部もテノールから始まる各独唱を経て、最後に再び『主よ~』のコラールが登場し、音楽は静けさの中へと収斂する。

 武生国際音楽祭2022はこの曲の演奏の深い感動と興奮の余韻を残し成功裏に閉幕した。

評者:金井勇(第21回武生国際作曲ワークショップ アシスタント作曲家)
東京音楽大学作曲専攻卒業、同大学院修了。2012年、2015年及び2016年武生国際作曲ワークショップ招待作曲家。「新しい地平」における近作としては『from Being』(スロウィンド木管五重奏団)、『to Becoming』(赤坂智子と大田智美)、『邯鄲の夢』(マルコ・デル・グレコ)等がある。また2019年は鈴木優人補筆校訂版のモーツァルト作曲『レクイエム』の武生版オーケストレーションを行った。