【武生国際音楽祭2026レポート⑧】

本年度の武生国際作曲ワークショップのアシスタントの作曲家・我妻英さんに武生国際音楽祭のレポートを頂きましたので、掲載いたします。

 この日の作曲ワークショップは、今年のサントリーホールサマーフェスティバル2026で管弦楽曲が世界初演されたばかりのセルビアの若き才能、フリスティナ・スザクの「自作について、そして音をめぐる思索」と題された講義で始まった。現代アートとの出会いから、マリーナ・アブラモヴィッチらに刺激された自身のパフォーマンスを最初に紹介。一貫して身体性を重んじあらゆる制約からの解放を目指す彼女の創作思想の原点を垣間見た。
 講義内では、人間の認知や感覚の拡張を問うた弦楽四重奏とライヴ・エレクトロニクスの大作《NAMO Ⅱ》(2024)の一部やインスタレーションなど、いくつかの作品を実演と同様に暗い空間で体験。また、2人の女声とアンサンブルのための《ANIMA Ⅱ》(2023)は、私自身昨年10月国立音楽大学での日本初演に接したが、笑いとも泣き叫びともつかぬ声が日常と非日常の境界を無効化し、意識を根源にまで遡行させてゆく凄絶な表現に戦慄を覚えた。
 スザクは講義内で何度か自身の個人的な感覚や記憶に言及し、「直感」の重要性を説いた。彼女の音楽やパフォーマンスが持つ強度は、何よりも彼女自身の潜在的な感覚と記憶への真摯な対峙が生み出していよう。その身を切るような創作は、意識の極限的な研ぎ澄ましを要することも想像に難くない。そうした彼女の音楽は、聴き手にもまた各々の感覚と記憶を通じて自身の内面と対峙することを迫る。言わば、聴き手の「直感」を引き出す力が作品の強度に結び付く。人間の意識の根源に対して深い洞察をもって直截的なアプローチを行うスザクの音楽は、受講生たちにとり非常に刺激的で示唆に富むものとなったはずである。

 続いて、新作をはじめ現代作品の演奏経験が豊富な葛西友子による打楽器のレクチャー。はじめに葛西は、楽譜は作曲家と演奏家が互いのアイデアを持ち寄り理想に近付いていくための対話の出発点であるという考えを述べた。
マレット(撥)や楽器の個体差の違い、とりわけ鍵盤打楽器はメーカーによって持ち味や特色が(作曲家の想像以上に)異なる、と説明しつつ、そうした楽器のハード面が全てではない、練習では単にマレットを硬く/柔らかくといった要求ではなくイメージする素材やニュアンスなどの目的を具体的に示してほしい、目的が共有されれば演奏家は己の経験と技術を活かして幅広い選択肢から応えることができる、とアドバイス。
さらに、これまでに経験して興味深かった作曲家のアイデア、自作のマテリアル(既存の素材で効果が得られない場合は日用品などをフル活用、その驚くべきクオリティ)を紹介。作曲家の求める正確な音程と音色に応えるべく、おりん(仏具の小さな鐘)は50個余り、ワイングラス(水を入れてふちを擦る)に至っては80個余り(!)を持ち揃えると述べて、受講生一同の驚きと感嘆を誘った。演奏家の観点から、発音の準備や余韻の処理を計算した書法、理想的な記譜法とそうでない記譜法などについて、現場に於ける様々なエピソードも交えて提言したが、「理想を求めて努力と工夫を重ねる、出来ないとは言いたくない」との言葉には、そのプロフェッショナリズムへの敬意と共に、作曲家側のそれも問われよう。
 最後に、打楽器奏者は様々なアイデアを持っている、私達は作曲家と共に理想を実現するパートナーなので沢山相談してほしい、と葛西。音楽は、作曲家と演奏家と聴き手の三者の対話で世界が無限に広がりゆく芸術。この場から魅力的な新しい打楽器作品が豊かに実る未来を期待させる、極めて充実したレクチャーとなった。

ここからは、今年のメイン講師でいま最も国際的な活躍を見せる作曲家フランチェスコ・フィリデイの《すべての身振りが終わったとき Finito ogni gesto》(2010) 公開リハーサル。演奏は、大井駿の指揮する、上野由恵(Flute)、上田希(Clarinet)、西川優弥(Horn)、葛西友子(Percussion)、辺見康孝(Violin)、柴田花音(Cello)という気鋭のメンバーで、翌日9月4日(金)「細川俊夫と仲間たち」の演奏会で本番を迎える。
 練習を開始する前にフィリデイ自身が語ったところによれば、この作品はチェロ協奏曲《すべての愛の身振り Ogni gesto d’amore》(2009)と対を成す、戦後イタリアの実験文学を主導した詩人エドゥアルド・サングィネッティの一節「すべての愛の身振りが終わったとき Quando è finito ogni gesto d’amore」に触発されたもので、愛と死を主題としている(なお、サングィネッティは本作品の初演の数日後に急逝してしまった)。
音楽は、冒頭から終結に至るまでセクションごとに下降する半音階を軸とし、アーチ状の起伏を成す。鼓動のように脈打つ大太鼓の最弱奏、幽かな笛の音、密やかな息遣い、壊れたオルゴール、譜めくりのノイズが亡霊のように浮遊する静寂で始まり、クライマックスでは足踏みと共に割られる風船の破裂音や荒ぶる楽器群による驚くべき獰猛さに達したのち、再び沈黙へと回帰する。すべてが消え去ったあと、風だけが譜めくりの音と共に残される。
この極めて繊細かつ大胆に形作られた音楽について、フィリデイは自らの書法と同様に緻密なイメージと共に自身の理想を演奏家たちに伝達してゆく。即座に反応するメンバー。その凄まじい集中力は、その場に立ち会う私達にも息をつかせぬ緊張感を伴って伝わった。きめ細やかなニュアンスを生命とするこの音楽が、作品に関わる全員の献身的取り組みをもって具現化されてゆく過程は、改めて作曲も演奏も人間の営みであることを再確認させ、受講生を含めた全員の記憶に深く刻まれる時間となっただろう。

(我妻 英)