本年度の武生国際作曲ワークショップのアシスタントの作曲家・我妻英さんに武生国際音楽祭のレポートを頂きましたので、掲載いたします。
「エスプリ esprit」という仏語が持つニュアンスは、本質的に他の言語に移し難いものと思われるが、敢えて辞書的な定義を試みれば「精髄のはたらきとその気配」や「機知に富む洒脱なセンス」とでもなるのだろうか。このエスプリこそ、近代フランス音楽を他に類なき魅力ある存在としている所以だ。「フランス器楽曲と歌曲のエスプリ」と銘打たれた当夜の演奏会は、まさにそのエスプリを存分に味わう名曲ア・ラ・カルトという趣だった。
演奏会はラヴェルの《亡き王女のためのパヴァーヌ》で幕を開けた。彼の作品中指折りの人気を誇るが、意味ありげに反し単に言葉の響きの美しさ由来に過ぎない曲名、作曲者自身「個性に欠ける」と冷淡ながらも内心では愛着があったか後年自ら管弦楽に編曲、一説には失語症と記憶障害に陥った最晩年に「この美しい音楽は誰の作曲か」と訊ねたとも伝わる。そんな様々なアンビヴァレンスを纏う本作品が愛されている事実は、洗練の極致に破綻や退廃を宿す職人、皮肉屋にして子供のような純真無垢さも持ち合わせたラヴェルその人にどこか相応しくも感じる。吉野直子の清冽なハープに乗せてマリオ・カーロリの吹く美しく哀しいフルートは、聴衆を近代フランスの妙なる音世界へとたちまち誘っていった。
ヴェルレーヌの詩によるドビュッシーの初期歌曲集《艶なる宴 第1集》は、森の静寂に身を寄せ合う恋人たちの憩いと不安を描く「密やかに」、華やかな仮面と衣装を纏う踊りに潜める空虚な悲しみを歌った「月の光」、軽快なスキャットが人形劇の滑稽味を印象付ける「操り人形」の3曲からなり、どの曲も幻想的世界の中にそこはかとなく陰が差す。
続いて、ショーソンの歌曲3選。ショーソンは、ワーグナーに傾倒しパリ音楽院で堅牢な書法をフランクに学ぶ一方で、サティやドビュッシーといった当時のセンセーショナルな音楽性をも支持する寛容さを持ち、44歳での事故死による早逝が惜しまれた存在だった。甘美な思い出が破局の痛みを一層耐え難いものにする「過ぎにし恋」(《4つの歌曲 Op. 8》)、愛の只中での死に憧れる想いを歌った「蜂雀(ハチドリ)」と「蝶々」(『7つの歌曲 Op. 2』)。
再びドビュッシーの歌曲。波は海へ、我々は墓場へいつか去る、若き日の幸福を味わえと諭す「美しい夕暮れ」、爪弾く響きがきりりとした叙情を醸す「マンドリン」、僅か10代のドビュッシーの感性が鋭く光る「星の輝く夜」。そして白眉はブルジェの甘美な詩を陶然と歌い上げる珠玉の名品「ロマンス」。
イルゼ・エーレンスの独唱と北村朋幹のピアノは、それぞれの作品の光と影とが織り成す綾を繊細に掬い取るように表現し、その見事な協演に熱い拍手が送られた。
従来の構造性や論理性からの脱却によって新たな音楽の展望を拓いたドビュッシーが、生涯の最後にソナタという特に構造性と論理性を礎となす絶対音楽形式に至ったことは、西洋音楽史上最も含蓄ある事実のひとつかもしれない。勿論、それは彼の軌跡の延長線上にソナタの様式を拡張し再定義する試みに他ならなかった。多様な室内楽による6曲を構想するも作曲家の死により遺された3曲の最初を飾る《チェロ・ソナタ》は、ドビュッシーの音楽語法が最も凝縮され簡潔に表れた傑作。上野通明のチェロの息を呑む表現力、北村との阿吽の呼吸が生み出す自由自在な緩急の巧みさに、会場は熱狂的な喝采に包まれた。
当夜の作曲家中、唯一20世紀に入って生を享けたメシアンの《黒つぐみ》は、1951年にパリ音楽院のフルート科の試験課題曲として書かれた小品。彼の音楽の代名詞である鳥の声が聞かれ、響きは協和音や全音階の枠外へ飛び出してゆくが、その音世界には紛れもなくドビュッシー流の幻想とラヴェル流の彫琢というエスプリが息づく。思えば、戦後の大家陣 —— ブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキスら —— はみなメシアンが輩出した。彼らの創作は当時確かに伝統を革新し、今日の耳でも過去との断絶を感じる向きもあろう。だが、近代フランスのエスプリはメシアンを通じて彼らに、さらには世代を超えて現在まで継承されている、という見方もきっと成立する。幅広い時代の音楽を得意とする上野由恵と大宅さおりの演奏は、そうした歴史の俯瞰的視座までも感じさせる鮮やかさで魅了した。
フランス六人組の一員として知られるプーランクは、敬愛したショパンを思わせる叙情、遊び心に富む諧謔、敬虔な宗教性や人間の暗部を直視する深刻さなど、「修道士の悪童」と揶揄されたほど多様な作風で一筋縄ではいかない作曲家。新ウィーン楽派やバルトークと親しく、晩年はブーレーズら若い世代の活動にも真摯に接しつつ、彼自身は己の信条とする創作姿勢を貫いた。世界中で惨劇が起こる20世紀に、彼は人間性を最後まで音楽に求めた作曲家の一人とも思われる。演奏会の最後を飾ったのは、そんなプーランクの歌曲作品。
まず、《ギヨーム・アポリネールの2つの詩》。1930年代のプーランクの音楽は、複雑な響きと移り気な展開の中に人の心の機微を浮かび上がらせる。続いて、6曲からなる歌曲集《偽りの婚約》。決して大仰な身振りを纏わぬ簡素な書法で、狂おしい恋慕、壊れゆく幸福、愛を失う絶望、死への隣り合わせの恐怖と憧れが、さりげなく、ときにありありと描かれる。こうした毒気や暗い情念を伴う心理劇は、《カルメル会修道女の対話》や《人間の声》等のオペラに代表されるプーランクの傑出した表現領域。エーレンスと北村は、その底知れない深さの陰影をぞっとするほどの美しさで余すところなく描き出し、聴く者の胸に迫った。
終演後には、豪華絢爛な音絵巻とも手に汗握るドラマとも異なる何かに接した、不思議な余韻に包まれた。歌われた主題はみな、愛の痛みや命の脆さ、触れる前に消え失せる幻など、この手に掴むことの叶わない美しくも儚いものばかり。「When you hear music after it’s over, it’s gone in the air, you can never capture it again. 空気中に消えた音楽は、二度と捉えることはできない」空気中に消えてゆく宿命の音楽を通して、束の間であれ、儚くも美しい愛や命の尊さを確かとする至芸が、本日のプログラムに通底する「エスプリ」なのでは、と思われた。 (我妻 英)